五大紙のひとつ、全国紙の朝日新聞の記者が、
遊木に1ヶ月住んで記事として中部3県エリア紙面(一部地域を除く)
に遊木で感じた事を掲載頂きました。(番外編を含め全5回)

ぐるり東海 熊野通信

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出典:平成28年3月7日(月)付け朝日新聞:第27面(三重 熊野 13版)より
 漁師町で暮らす@ 朝どれ魚市 新名物に 
  熊野市で記者が1カ月住み込むのは、漁師町・遊木(ゆき)町の一軒家だ。港を囲むように家々が連なる。
活気ある魚の町での暮らしは、東京で育った私には驚きの連続だ。
 町に着いた日の朝10時半ごろ、スピーカーによる放送が家の中ほで響き渡った。「ゴマサバ、1匹100円」。
何事? あちこちからバケツを持った住民が出てきて、港へ向かう。
わけもわからず、その様子を見送った。しばらくすると、住民たちはウロコが輝く新鮮なサバやイワシをバケツ
に入れて戻ってきた。
 ひなたばっこ中のおばちゃんたちが教えてくれた。「放送流れたら走ってくん」 「スーパーの(魚)は、かっこも
ええない(よくない)しな」 「高いもん」。
口々に「朝どれ魚市」を勧める。港近くで魚を売っているようだ。
 次の次の日朝、再び案内の声が聞こえた。慌てて家を飛び出した。100b先の港に止まった小さなトラックに
列ができている。 人気はカタクチイワシ。1.3`を買った浜地哲三さん(71)は「塩をふって干物にする。うまいよ」。
魚はスーパーで買った切り身しか料理したことがない私。散々迷ったが、丸々太ったサバを1匹300円で購入した。
2014年、港の沖寄りに新しい市場が完成。衛生管理が厳しくなり、住民は容易に入れなくなった。そこで漁協が
市場で買い付けて住民に売るようになったのが、この「市」という。私が買ったサバは結局、浜地さんにさばいて
もらった。かって名古屋で居酒屋を経営していたという。
 よく研いだ刃物で手際よく中骨を切り離す。新鮮な身は刃を入れると、ザクザクと音がした。仮住まいの自宅で、
塩焼きにしていただくと、ふっくらした身はあっという間に胃に収まった。次は、自分で三枚おろしに挑戦してみよう。
    ◇
遊木町は市中心部から北東約8`にあるサンマ漁の基地。記者の暮らしぶりを「通信」の中で随時、お伝えします。(中村真理)
 

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出典:平成28年(2016)3月10日(木)朝日新聞 第31面(三重 熊野 13版)より
 漁師町で暮らすA 干物手作り「マイ干し場」 
取材拠点として熊野市遊木町に借りた一軒家の前には、川が流れている。川沿いに、棒や網のかかった木枠が
設置してあるのが気になっていた。朝、お向かいに住む漁師大川誠さん(73)が網を開けて、何やら取り出している。
身を開いた魚だ。 「ウツボ。ゆうべ(定置)網にかかっとって、仕留めたった」。開いた身を一晩ここで乾かした後、
丸まらないよう丁寧に竹串を通して、つり下げた。「滋養強壮になるでね、昔はこれで産後に栄養とらした」。さらに
2日ほど、つり干しして完成するという。「(酒を)一杯するときにマヨネーズつけて。いくらでも食べられる」と笑みがこぼれた。
 干物は買う物だと思っていたが、ここではみんな気軽に干物を作る。考えてみれば、漁師町だから当たり前か。
好みによって塩加減を調整したり、長時間じっくり味をしみこませたり、「みんな自分なりの家庭の昧がある」と近くに
住む男性(71)。都会へ出た子や親戚に送る人もいる。 この干し場は川沿いの家が設けたが、空いていれば誰でも
使えるみんなの「マイ干し場」だ。川沿いは風が通るので、干物作りには最適。猫や鳥よけのため、網をかぶせられる
ようになっている。冬場は熊野名物サンマの丸干しが並び、最近はイワシが多い。遊木町では家々の軒先でも、
ザルなどを使った小さなマイ干し場が見られる。(中村真理)

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出典:平成28年(2016)3月14日(月)朝日新聞 第25面(三重 熊野 13版)より
 番外編 夢を追って北の海へ
 熊野灘は、日本のサンマ漁発祥の地とされる。そこから北海道やロシアの海に挑むサンマ漁船がある。巨大船が
ひしめく1500年口離れた北ぬ海へ父子2代で乗り出したのは、なぜか。
サンマ漁船「開吉丸」
 熊野市遊木町の漁港で、ほかのサンマ漁船と並んで「開吉丸(あきよしまる)」が停泊している。意外に小さい。
10トン未満の小型船。だが、ほかの遊木の船とは違う設備を備える。魚の吸い込みポンプやソナー、色が変えられる
集魚灯……。「北海道では最低限の設備なんやけどね」。船頭の大川太(ふとし)さん(47)が説明してくれた。
毎年7月になると、乗組員達4人とともに北海道沖へ向かう。
 北海道へ漁に出るようになったのは、約20年前だ。それまでは熊野沖で操業していたが、当時船頭だった父・
長(つかさ)さんは、「サンマがとれなくなってきている。先細りになるのでは」と不安を感じていた。
 「向こうへ行ってみないか」。北海道でも漁をしていた隣の尾鷲市の船に誘われた。10日ほど現地を視察して、
長さんは「やれる」と踏んだ。漁解禁が最も早い最少の10トン未満船を選び、当時の最新性能に造り直した。
北海道沖では最も遠くからの参戦だった。
 本格的な漁期に入ると、視界約50bの濃霧のなか、熊野灘で見るより何倍も大きい船がひしめく。魚を集める
ための集魚灯が「海の上に町ができたみたいだっだ」と長さん。スケールの大きさに圧倒された。海の上は情報戦だ。
すでにいくつもの船団ができ、漁場や魚の動きについて情報を交換しあっていた。
「(熊野では)のんびりやれるけど、あっちは船が多いでね。競争っちゅうか。わからんうちは人の後走るしかなかった」と太さん。
 次第に道外など「寄り集まり」の船たちで協力しあうようになった。結びつきは強く、苦戦する仲間の漁を手伝った。
仲間の気仙沼の船が東日本大震災で被災した時は、太さんが物資を満載した車で熊野から駆けつけた。
 ロシアの200カイリ水域でも漁をする。北方領土近くの海域に入って拿捕された船もあった。最近は北海道沖ではとれず、
サンマ漁の主な漁場はロシア水域だという。さらに今季の水揚げ量は北海道で昨年の6割程度にとどまった。その
外側の公海での台湾、中国、韓国の大型船による「先取り」も指摘されている。「いつまでサンマ漁が続けられるか」と長さん。
 5年ほど前に長さんは船を下りた。熊野の自宅で夫と息子の帰りを待っていた綾子さん(76)は「遠いさかい、天候とか心配
やった。特にロシア水域へ入るときは」と振り返った。 今は太さんが指揮をとる。今シーズンも開吉丸は北海道の海で夏を
越し、サンマとともに太平洋を下って冬の熊野で漁をほぼ終えた。「乗務員もあっち(北海道)での漁を期待しとる。燃料の油代も
かかるし、プレッシャーはあるで。でも、それだけ夢がある」。太さんはそう話した。(中村真理)

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出典:平成28年(2016)3月17日(木)朝日新聞 第29面(三重 熊野 13版)より
 漁師町で暮らす B  山腹に江戸期の狼煙場 
 記者が暮らす熊野市遊木(ゆき)町。太平洋を望む岬の山腹には、江戸時代に遠隔地への情報伝達に使った
「狼煙(のろし)場」が残っていると聞いた。これは、行かねば。
 朝9時、近くに住む浜口安徳さん(71)と浜地哲三さん(71)と漁協前をスタート。斜面に並ぶ家やお墓の間を登り、
山中に入る。木々の間に石垣が残る。段々畑の跡だ。谷の下まで続く。イノシシの侵入を防ぐ猪垣(ししがき)や田に
水を引く水路跡もある。浜地さんは「子どもの頃はここいらの畑までサツマイモとか麦とか、うわっとった」。
 1時間かかって狼煙場に着いた。直径約3bの石組み3基が、森の中のぽっかり空いた空間に一直線に並んでいた。
 市教育委員会によると、鎖国体制の江戸時代、異国船などを発見した際、紀伊半島沿岸部を結ぶ狼煙によって
和歌山の紀州藩に知らせるのに使われたと推測される。
 2001年ごろ、漁港の市場がいったん他集落へ移動。さびしくなった遊木町を盛り上げたいと浜口さんが思いついたのが、
かって遊んだ山で見つけた狼煙場だった。石組みが残るのは東紀州では2カ所だけと貴重だ。有志で木を伐採し、
1年かけて柵や道を整えた。太平洋が一望できる。「黒潮が通るとすごいで。蛇行して」と浜口さん。今では小学生や
観光客も訪れるようになったという。(中村真理)

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出典:平成28年3月25日(金)付け朝日新聞:第29面(三重 熊野 13版)より
 漁師町で暮らす C完 美しきさばき 私だって
 漁師町・熊野市遊木町に暮らし始めて3週間になる。だいぶ慣れたが、大きな課題が残っていた。
魚の三枚おろしへの挑戦だ。
 22日昼、おなじみの朝どれ魚市のトラックが来た。いままでは1匹丸々のタイやヒラメが売れていくのを横目に、
ブリの切り身などを買っていたが、今日の私は違う。売り手の漁協職員やほかのお客さんに選んでもらった太めの
ヒラサバを1匹150円で購入した。 「先生」になってくれたのは、近所の大川つず子さん(62)と漁師船「俊栄丸」に乗る
俊策さん(70)夫婦。作業場でまな板に、買ったサバをのせた。
 まず、包丁の刃を立ててウロコをそぎとる。続いて、左右の胸ヒレから刃を入れて頭を落とす。つず子さんに
切り目を入れてもらい、腹を割って内臓を取り出して下準備は完了。
 いよいよ、さばきだ。腹と背に切り込みを入れて、しっぽから骨にそって包丁を滑らす。はずだったが、
グラグラして滑らない。「ちょっと(包丁を身に対して)立てめにいくんさ。刃の先じゃなしに腹をそわせて、
クッと(手を)返す感じで」と俊策さん。40、50`のマグロもさばく腕前だ。
 何とか一枚とれたが、、骨に身がたっぶり残ってしまった。反対側もおろし、腹の骨も取って完成だ!
 2人がさばく身はなめらかで美しい。私のとは違う……。「(結婚するまで)何も知らんかったから見よう見まね。
やってみやな分からん」とつず子さん。
 食べ方も教わった。記者はシンプルに塩焼きを選んだが、つず子さんは「晩に天ぷらにするん。おいしいで」。
輪切りでみそ煮、細かく切ってしょうゆと砂糖を入れた炊き込みごはんもお薦めという。
 つず子さんに「もっと早くやってたら、いまごろベテランやったのに」と言われてしまった。この漁師町で暮らすのも、
あと数日。翌日はアジを購入した。実践あるのみだ。(中村真理)材




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